(写真は、ラオスの朝の托鉢)
前回の続きです。
お釈迦様の教えが、
それを教わった弟子達によって、
異なったということで、
仏教組織は、
厳密に戒律に従うべきという保守的なグループと、
もっと臨機応変でいいのでは、という革新グループに
大きく二つに分裂したのです。
この会議では
とても些細な事も、
意見が分かれたそうです。
革新グループは、たとえば、
托鉢で頂いた食事は、残してはいけないが
塩は蓄えていいのか、
正午以降食事をしていいか、
牛乳は正午以降も飲んでいいか
といったことまで要求したそうです。
革新派は、大人数だったため
「大衆部」と呼ばれました。
一方、
戒律には従うべきだという厳格なグループは、
会議の場で上座の方にすわる長老が多かったため、
「上座部」と言われたそうです。
この最初の大きな分裂を
「根本分裂」といいます。
大衆部は、「大乗仏教」(大きな乗り物)と名乗り、
上座部を小乗仏教と馬鹿にするような呼び方をした、
ということです。