垂直に立つということは、命を表す


(宮崎県 高千穂 秋元神社)

人は病気になると横たわります。
生物は死んだら、分解して、
分子レベルに分解されて、粒子に地面に戻ります。

つまり、水平の方向への広がりです。
重力に従えば、水平に横になるのは、
エネルギーを必要としません。

それに対して、垂直に立つ、ということは、
エネルギーを要するものです。
健康でなければ、立っていられないですよね。

物理学の法則で、エントロピー増大の法則というのがあります。
難しい計算式がありますが、
エントロピーというのは、概念だけを抽出すると、
「乱雑さ」です。
かなり大雑把にいうと
自然界のものは、何もしないと、乱雑さが増していく、
ということです。

それに対抗するエネルギーが加わらないと、
崩れて行く一方です。

生物の体を構成している分子が、
入れ替わり立ち代わり、
規則正しい秩序を保って機能し、
重力に反して立つのには
エネルギーが必要なのです。

そのエネルギーの供給が無くなった時点で、
体は崩壊していくのです。

そのエネルギーが、いわゆる「気」です。

日本では、昔から樹木に対して、
神性を見出してきました。

下へ向かおうとする重力に反して、
垂直方向に天に向かって伸びて行く植物に、
昔の人は、命の力を感じたのでしょう。

日本のカミは、宙をさまよっていて、呼んだところに降りてくる

神様は神社にいつもじっとしているわけではありません。
神道でのカミのイメージというのは、ふわふわと空中を漂っていて
「降りて来てください」とお呼びするとそこに降りてきてくれる、
という感じです。

そして、その神様に降りて来てもらう為に
アンテナを立てる必要があります。

もしくは、天高く聳えたつ大木に降りてくるそうです。

カミはいつも同じ場所にとどまっていらっしゃる訳ではないのですね。

カミをお迎えする場所として、
神籬(ヒモロギ)というものがあります。

Wikipediaで調べると、以下のような記述がされています。

『形式は、八脚台という木の台の上に枠を組み、
その中央に榊の枝を立て、
紙垂と木綿(ゆう)を取り付けたものである。
なお、神籬には、常緑樹(常磐木)が用いられてきており、
榊のほか、松なども使用されている[1]。

古来、日本人は自然の山や岩、木、海などに神が宿っていると信じ、
信仰の対象としてきた。

そのため、古代の神道では神社を建てて
社殿の中に神を祭るのではなく、
祭の時はその時々に神を招いてとり行った。

その際、神を招くための巨木の周囲に
玉垣をめぐらして注連縄で囲うことで神聖を保ち、
古くはその場所が神籬と呼ばれた。

次第に神社が建てられるようになり、
祭りも社殿で行われるようになったが、
古い形の神社は、建物の中に玉垣を設けて
常盤木を立てて神の宿る所とし、祭るものであった。

後にはこの常盤木を神籬と呼ぶようになった。
現在は、神籬は地鎮祭などで用いられる。

「ひもろぎ」(古代には「ひもろき」)の語源は、
「ひ」は神霊、「もろ」は天下るの意の「あもる」の転、
「き」は木の意とされ、
神霊が天下る木、神の依り代となる木の意味となる。(wikipediaより引用)』

つまり、神様をお迎えするには、

地面に樹木の柱を立てて、アンテナにして、
地面と天をつなぐルートをつくる、
ということです。

「榊の枝を立て、紙垂と木綿(ゆう)を取り付けたもの」

とあります。

紙垂(シデ)とは、よく神社で見かける、
白い紙を段違いに切って、垂らしている、
お払いのときにつかう、あのフサフサの棒についているものです。

紙垂は稲妻をイメージしています。

落雷があると稲がよく育ち豊作になるから、
歓迎するものなのだそうですが、
天高く聳えた大木に、
稲妻が落ちるのを見た古代人にとっては、
まさしく、天の神様が
地上に降りて来ているように見えたのではないかと思います。

その現象を、表すのが、地面に榊や松の枝を立て、
紙垂をさげる神籬のスタイルとなったのでしょう。

花を立てるということ、地面に柱を立てる、ということ

日本では、生け花など、
昔から花をいけて、花を愛でてきました。

そもそも、花をいけるということですが、
古くは、「たてはな」という生け花が
最初だそうです。

「たてはな」は、花を飾って楽しむものではなく、
カミに捧げるものです。

生け花の中で、自由にいける「なげいれ」に対して、
カミに供える花をして「立て花」というものがあります。
華道成立以前にあったもので、
稲藁を束ねた「こみ藁」を花器の中に入れ、花を立てますが、
この「こみ藁」には、垂直方向のベクトルしかありません。

その方向が、上下の垂直方向しかない、
ということが、とても大きな意味を持つそうです。

花を立てる、ということは
地面に対して、柱を立てるということに繋がります。

天のカミを呼ぶために『地面に柱を立てる』ということは、
ご神木という巨木信仰、長野の御柱祭りにみられます。

天のカミが降りてくるアンテナというだけでなく、
天と地を行き来するためのルートという意味もあるのでしょう。

樹木の写真を撮る、ということ


(熊本県 南阿蘇)

私は、樹木の写真をよく撮ることがありますが、
単に桜や紅葉が美しいからというだけではなく、
これまで述べて来たように、樹木には、
天と地をつなぐ象徴として、
崇高な一面があるからです。
なので、樹木を撮るときは、
普段よりも、かしこまって、
ご神木を拝むような気持で臨むようにしています。

植物が地面から生えて、
天に向かって縦の方向に伸びていく様は、
命のエネルギーそのものです。

天に向かって聳えたつ、天と地をつなぐアンテナとしての、
姿を重ねあわせているので、
樹木を撮るときは、特別な意識を持って撮ります。