インドのアジャンタ石窟寺院

去年、インドのアジャンタ石窟寺院とエローラ石窟寺院を
訪れました。

石窟寺院は、ノミで、山の岩盤を掘って、
洞窟の寺院を掘られたものです。

アジャンタ石窟寺院は仏教遺跡で
世界遺産になっています。

作られた時期は前期と後期に分かれて、
前期は、紀元前1世紀から紀元後2世紀、
後期は5世紀後半から6世紀頃とされています。

洞窟の中は、
岩盤をそのままくりぬきながら、
作られた仏像や柱の装飾など、
部屋の岩盤と連続していてます。

つまり、洞窟を掘りながら、
そのまま仏像も掘っていったということです。
本当に気の遠くなる作業です。
人間の力の凄さを感じます。
世界遺産とは、こういうものだと思います。

よく、仏師の言葉で、
「木の中にお釈迦様がいて、それを掘り出しているだけだ」
という言葉がありますが、
洞窟の奥の薄暗い照明に照らされた仏像を見ると、
山の中の岩盤の中に仏様がいて、
長い年月をかけて、
掘り起こされたのではないか、という感覚に陥りました。

真っ暗の洞窟の中で、
そんな仏像の前で、
ひんやりとする岩盤の床で、
しばらく座禅をしてきました。

古代インドの僧侶達が、
ここで暮らし、修行をしていたのだと
感慨にふけりました。

この寺院では、三脚の使用ができないので、
真っ暗な中、手持ちで沢山の写真を撮ってきました。

このような場所では、
ISO感度をオートにして、高感度で撮影します。
それでもシャッタースピードは、
手持ちの限界に挑戦するほどゆっくりです。

一枚一枚、仏様に手を合わせるような気持ちで、
シャッターを切りました。

大乗仏教と上座部仏教


(写真は、ラオスの朝の托鉢)

前回の続きです。

お釈迦様の教えが、
それを教わった弟子達によって、
異なったということで、
仏教組織は、
厳密に戒律に従うべきという保守的なグループと、
もっと臨機応変でいいのでは、という革新グループに
大きく二つに分裂したのです。

この会議では
とても些細な事も、
意見が分かれたそうです。

革新グループは、たとえば、
托鉢で頂いた食事は、残してはいけないが
塩は蓄えていいのか、
正午以降食事をしていいか、
牛乳は正午以降も飲んでいいか

といったことまで要求したそうです。

革新派は、大人数だったため
「大衆部」と呼ばれました。

一方、
戒律には従うべきだという厳格なグループは、
会議の場で上座の方にすわる長老が多かったため、
「上座部」と言われたそうです。

この最初の大きな分裂を
「根本分裂」といいます。

大衆部は、「大乗仏教」(大きな乗り物)と名乗り、
上座部を小乗仏教と馬鹿にするような呼び方をした、
ということです。

お釈迦さまは、相手に応じて教え方を変えていた

東南アジアに伝わった上座部仏教ですが、
なぜ、「上座部」というのか、
本を読んだりして、知ったことをお伝えします。

お釈迦さまが悟りを開かれたあと、
その体験を、弟子達に教えていました。

その中には、悟りの体験へ弟子達を導くため、
いろいろな戒律を決めたそうです。

何か新しいことが発生した時には、
弟子達は、一つ一つ、お釈迦さまに聞けばいいのですが、
お釈迦さまが亡くなってからは、
指示を仰げないので、
会議で決めていかなければなりません。

お釈迦さまは、それぞれの弟子に合わせて、
いろんな言葉でアドバイスをしたそうです。
ある人には、「右」といい
ある人には「左」という感じで、
その人を悟りへ導けるように、
それぞれの人の状態に合わせ、表現を変えていたうえ、
自分の言葉を文章に残すことを
好まなかったそうです。

そこで弟子達は、
お釈迦さまの死後、定期的に集まり、
記憶を持ち寄って、教典としてまとめようとする
「結集」という会議を行なったそうです。

ところが、
お釈迦さまは弟子達それぞれに
違うことを言っていたため、
解釈の対立が起こりました。

続きは、次回・・・

ラオスのルアンパバーンで出会った少年僧

タイ、ラオス、ミャンマーなどの
東南アジアの国々では、
男の子のほとんどは、一度はお寺に入って、
僧侶として暮らします。

僧侶の暮らしは、とても厳格なものです。
厳しい修行生活ではありますが、
それだけではなく、
ちゃんと、学校があるお寺もあり、
仏教についてだけではなく、
普通の学校のように、
多方面についての授業があります。

ラオスのルアンパバーンで出会った少年僧は、
英会話の勉強をしていて、
私のような外国人を捕まえて、
会話の練習をしていました。

ある少年僧に、将来は何になりたいのかと聞くと
仏師になりたいと言ってました。

ルアンパバーンは、世界的に有名な観光地なので、
毎日大勢の西洋人が訪れます。
僧侶達も、観光客慣れしていて、
とてもフレンドリーで、
彼らの暮らしについても
いろいろ教えてくれました。

東南アジアの仏教の風景

私はよく、東南アジアの国々に撮影に出かけます。

ある土地の風土を見るには、
その土地の宗教について、ある程度知る必要があります。

東南アジアを旅する時は、
少し仏教の歴史について知っておくと
より旅を楽しめますし、
風景を見る目も変わってきます。

タイ、ラオス、ミャンマーなどの国々に行くと、
その国の人々の仏教に深く根ざした
暮らしぶりを見ることができます。

東南アジアのお坊さんの僧衣は、
鮮やかなオレンジ色、黄色、シックなえんじ色です。

仏像の顔も、建物も、
それぞれの地域でいろいろですが、
日本に伝わった仏教とは、
ずいぶんと様子が異なります。

古代インドで発生した仏教は、
大きく捉えると、
インドでは少数派で、インドから中国を経て、
日本に伝わった大乗仏教。
その大乗仏教の中でも、
ネパールを経由し、
チベットの土着の宗教と融合し発展したチベット仏教、
東南アジア方面へ伝わった
上座部仏教があります。

昔、私たちは、世界史などで、
上座部仏教を「小乗仏教」と教わりました。
「小乗」とは、大乗仏教から見て、
差別的な表現である、ということで、
今は「上座部仏教」と呼ばれています。