コラム「稲と雷と紙垂」の記事で書いたように、
米が豊作になることから、稲妻は神聖視されていました。
稲妻は、天に高く聳える高木の頂に落ちることが多いので、
昔の人は、雲の上から高木に神様が降りて来ていると
考えたのでしょう。
太くて背の高い、立派な高木が生育するような
エネルギーの高い場所に神社が造られて、
それらの木々をご神木として祀り、
木々の幹には、注連縄と紙垂がかけられていることの
意味がわかってきます。
「高木に天から神様が降りる」ということから
地面に柱を立てて、天と地をつなぐ垂直の道をつくる
ということが重要な意味を持ってきます。
伊勢の神宮の神殿の中央には、心御柱がある、
長野の御柱祭で柱を立てる、
古事記で、イザナギ、イザナミが国作りのときにまず柱を立てた、
神様は1柱、2柱と数える・・・
ということも、この「神様が高木に降りる」ということが
由来になっていると推察されます。
(あくまで、私の個人的な推察です。)