お釈迦さまは、相手に応じて教え方を変えていた

東南アジアに伝わった上座部仏教ですが、
なぜ、「上座部」というのか、
本を読んだりして、知ったことをお伝えします。

お釈迦さまが悟りを開かれたあと、
その体験を、弟子達に教えていました。

その中には、悟りの体験へ弟子達を導くため、
いろいろな戒律を決めたそうです。

何か新しいことが発生した時には、
弟子達は、一つ一つ、お釈迦さまに聞けばいいのですが、
お釈迦さまが亡くなってからは、
指示を仰げないので、
会議で決めていかなければなりません。

お釈迦さまは、それぞれの弟子に合わせて、
いろんな言葉でアドバイスをしたそうです。
ある人には、「右」といい
ある人には「左」という感じで、
その人を悟りへ導けるように、
それぞれの人の状態に合わせ、表現を変えていたうえ、
自分の言葉を文章に残すことを
好まなかったそうです。

そこで弟子達は、
お釈迦さまの死後、定期的に集まり、
記憶を持ち寄って、教典としてまとめようとする
「結集」という会議を行なったそうです。

ところが、
お釈迦さまは弟子達それぞれに
違うことを言っていたため、
解釈の対立が起こりました。

続きは、次回・・・

ラオスのルアンパバーンで出会った少年僧

タイ、ラオス、ミャンマーなどの
東南アジアの国々では、
男の子のほとんどは、一度はお寺に入って、
僧侶として暮らします。

僧侶の暮らしは、とても厳格なものです。
厳しい修行生活ではありますが、
それだけではなく、
ちゃんと、学校があるお寺もあり、
仏教についてだけではなく、
普通の学校のように、
多方面についての授業があります。

ラオスのルアンパバーンで出会った少年僧は、
英会話の勉強をしていて、
私のような外国人を捕まえて、
会話の練習をしていました。

ある少年僧に、将来は何になりたいのかと聞くと
仏師になりたいと言ってました。

ルアンパバーンは、世界的に有名な観光地なので、
毎日大勢の西洋人が訪れます。
僧侶達も、観光客慣れしていて、
とてもフレンドリーで、
彼らの暮らしについても
いろいろ教えてくれました。

東南アジアの仏教の風景

私はよく、東南アジアの国々に撮影に出かけます。

ある土地の風土を見るには、
その土地の宗教について、ある程度知る必要があります。

東南アジアを旅する時は、
少し仏教の歴史について知っておくと
より旅を楽しめますし、
風景を見る目も変わってきます。

タイ、ラオス、ミャンマーなどの国々に行くと、
その国の人々の仏教に深く根ざした
暮らしぶりを見ることができます。

東南アジアのお坊さんの僧衣は、
鮮やかなオレンジ色、黄色、シックなえんじ色です。

仏像の顔も、建物も、
それぞれの地域でいろいろですが、
日本に伝わった仏教とは、
ずいぶんと様子が異なります。

古代インドで発生した仏教は、
大きく捉えると、
インドでは少数派で、インドから中国を経て、
日本に伝わった大乗仏教。
その大乗仏教の中でも、
ネパールを経由し、
チベットの土着の宗教と融合し発展したチベット仏教、
東南アジア方面へ伝わった
上座部仏教があります。

昔、私たちは、世界史などで、
上座部仏教を「小乗仏教」と教わりました。
「小乗」とは、大乗仏教から見て、
差別的な表現である、ということで、
今は「上座部仏教」と呼ばれています。

垂直に立つということは、命を表す


(宮崎県 高千穂 秋元神社)

人は病気になると横たわります。
生物は死んだら、分解して、
分子レベルに分解されて、粒子に地面に戻ります。

つまり、水平の方向への広がりです。
重力に従えば、水平に横になるのは、
エネルギーを必要としません。

それに対して、垂直に立つ、ということは、
エネルギーを要するものです。
健康でなければ、立っていられないですよね。

物理学の法則で、エントロピー増大の法則というのがあります。
難しい計算式がありますが、
エントロピーというのは、概念だけを抽出すると、
「乱雑さ」です。
かなり大雑把にいうと
自然界のものは、何もしないと、乱雑さが増していく、
ということです。

それに対抗するエネルギーが加わらないと、
崩れて行く一方です。

生物の体を構成している分子が、
入れ替わり立ち代わり、
規則正しい秩序を保って機能し、
重力に反して立つのには
エネルギーが必要なのです。

そのエネルギーの供給が無くなった時点で、
体は崩壊していくのです。

そのエネルギーが、いわゆる「気」です。

日本では、昔から樹木に対して、
神性を見出してきました。

下へ向かおうとする重力に反して、
垂直方向に天に向かって伸びて行く植物に、
昔の人は、命の力を感じたのでしょう。

日本のカミは、宙をさまよっていて、呼んだところに降りてくる

神様は神社にいつもじっとしているわけではありません。
神道でのカミのイメージというのは、ふわふわと空中を漂っていて
「降りて来てください」とお呼びするとそこに降りてきてくれる、
という感じです。

そして、その神様に降りて来てもらう為に
アンテナを立てる必要があります。

もしくは、天高く聳えたつ大木に降りてくるそうです。

カミはいつも同じ場所にとどまっていらっしゃる訳ではないのですね。

カミをお迎えする場所として、
神籬(ヒモロギ)というものがあります。

Wikipediaで調べると、以下のような記述がされています。

『形式は、八脚台という木の台の上に枠を組み、
その中央に榊の枝を立て、
紙垂と木綿(ゆう)を取り付けたものである。
なお、神籬には、常緑樹(常磐木)が用いられてきており、
榊のほか、松なども使用されている[1]。

古来、日本人は自然の山や岩、木、海などに神が宿っていると信じ、
信仰の対象としてきた。

そのため、古代の神道では神社を建てて
社殿の中に神を祭るのではなく、
祭の時はその時々に神を招いてとり行った。

その際、神を招くための巨木の周囲に
玉垣をめぐらして注連縄で囲うことで神聖を保ち、
古くはその場所が神籬と呼ばれた。

次第に神社が建てられるようになり、
祭りも社殿で行われるようになったが、
古い形の神社は、建物の中に玉垣を設けて
常盤木を立てて神の宿る所とし、祭るものであった。

後にはこの常盤木を神籬と呼ぶようになった。
現在は、神籬は地鎮祭などで用いられる。

「ひもろぎ」(古代には「ひもろき」)の語源は、
「ひ」は神霊、「もろ」は天下るの意の「あもる」の転、
「き」は木の意とされ、
神霊が天下る木、神の依り代となる木の意味となる。(wikipediaより引用)』

つまり、神様をお迎えするには、

地面に樹木の柱を立てて、アンテナにして、
地面と天をつなぐルートをつくる、
ということです。

「榊の枝を立て、紙垂と木綿(ゆう)を取り付けたもの」

とあります。

紙垂(シデ)とは、よく神社で見かける、
白い紙を段違いに切って、垂らしている、
お払いのときにつかう、あのフサフサの棒についているものです。

紙垂は稲妻をイメージしています。

落雷があると稲がよく育ち豊作になるから、
歓迎するものなのだそうですが、
天高く聳えた大木に、
稲妻が落ちるのを見た古代人にとっては、
まさしく、天の神様が
地上に降りて来ているように見えたのではないかと思います。

その現象を、表すのが、地面に榊や松の枝を立て、
紙垂をさげる神籬のスタイルとなったのでしょう。

花を立てるということ、地面に柱を立てる、ということ

日本では、生け花など、
昔から花をいけて、花を愛でてきました。

そもそも、花をいけるということですが、
古くは、「たてはな」という生け花が
最初だそうです。

「たてはな」は、花を飾って楽しむものではなく、
カミに捧げるものです。

生け花の中で、自由にいける「なげいれ」に対して、
カミに供える花をして「立て花」というものがあります。
華道成立以前にあったもので、
稲藁を束ねた「こみ藁」を花器の中に入れ、花を立てますが、
この「こみ藁」には、垂直方向のベクトルしかありません。

その方向が、上下の垂直方向しかない、
ということが、とても大きな意味を持つそうです。

花を立てる、ということは
地面に対して、柱を立てるということに繋がります。

天のカミを呼ぶために『地面に柱を立てる』ということは、
ご神木という巨木信仰、長野の御柱祭りにみられます。

天のカミが降りてくるアンテナというだけでなく、
天と地を行き来するためのルートという意味もあるのでしょう。

樹木の写真を撮る、ということ


(熊本県 南阿蘇)

私は、樹木の写真をよく撮ることがありますが、
単に桜や紅葉が美しいからというだけではなく、
これまで述べて来たように、樹木には、
天と地をつなぐ象徴として、
崇高な一面があるからです。
なので、樹木を撮るときは、
普段よりも、かしこまって、
ご神木を拝むような気持で臨むようにしています。

植物が地面から生えて、
天に向かって縦の方向に伸びていく様は、
命のエネルギーそのものです。

天に向かって聳えたつ、天と地をつなぐアンテナとしての、
姿を重ねあわせているので、
樹木を撮るときは、特別な意識を持って撮ります。

土地のエネルギーを感じる力

各地の神社には、
立派なご神木があることが多いです。

神社にご神木がある、
というより、
高く聳える立派な木が生えることができる
土地のエネルギーの高い場所に
神社が出来た、ということでしょう。

また、巨岩もご神体として
祀られてきました。

日本人は
樹木や岩石に特別なエネルギーを感じて
神性を見出してきました。

神社のある場所は、
土地のエネルギーが高い場所です。
どこに神社をつくるのか、
土地のエネルギーを感じる感度も
高かったのでしょう。

昔の人は、現代人よりも
自然に密着して暮らしていたので、
感覚も敏感だったのだと思います。

現代人は、都市生活で、
自然に触れる機会も少なくなり、
そのような感覚も鈍ってきています。

自然の写真を撮ると、
季節の微妙な移り変わりや、
その時の気象条件や光を大切にします。

自然を見つめることで、
少しは、その眠っている感覚を
呼び覚ますことができそうです。

神道について

神道について少し、これまで学んだことを
説明をしておきたいと思います。

関係なさそうですが、
実は、私の中では密接に繋がっています。

日本の文化を見つめ直すのに、
「神道」について、知っておく必要があります。

日本にいて、普通に生活していると、
あまり宗教と暮らしについて、あまり実感がありませんが、
外国にいくと、それぞれの国の文化が、
深く宗教に根ざしているということが分かります。

宗教について学ぶことは、
それぞれの国の人たちのモノの考え方を理解することに繋がりますし、
その土地の風土、景観なども見えてくることになります。

日本にも、仏教が伝来する以前から、
自然に畏敬の念をもって、
八百万の神々として、信仰してきて、
私たちの暮らし、習慣のベースになっています。

ちなみに、神道は、いわゆる宗教ではありません。

なぜかというと、
宗教に必要な3つの要素
「教義」「教典」「教祖」の
どれもが無いからです。

宗教ではないということは何かというと、
古来より脈々と受け継がれて来た習慣、風習、しきたり、
ということです。

でも、「宗教」の定義を、
何か大きな力に対して、畏敬の念をもって敬い、
自分の心の拠り所とするものとすれば、
「宗教」かもしれませんね。

しばらく、この神道について学んだことを
記していきたいと思います。

なぜなら、
日本の風景、風土、習慣を見つめ直して
日本の風景を撮るときに頭の片隅に入れておきたい
知識だと思うからです。

長崎の大楠

私の実家のある長崎には、
クスノキの大木が至る所にあります。

中でも、私の実家の窓から正面に見える
大徳寺のクスノキは、
長崎県最大で、県指定の天然記念物に指定されています。

樹齢800年以上、根回り23.4m、目通り幹周り12.6mという
とんでもない大きさの木で、
全体をカメラに収めるのは、とても無理です。
大楠の横には楠稲荷神社・梅香崎神社があります。

太い枝の分かれ目は、
寝転がれるくらいの広さのスペースがあり、
子供の頃は、ここに登って遊んでいました。

この巨木が、子供の頃は、
毎日見ている普通の存在でしたが、
とても特別な木だったということに
大人になってから気がつきました。

私の樹木との出会いの
もっとも古い記憶は、
この大楠です。

今も樹木の写真を撮るときは、
特別の思いを込めて撮りますが、
改めて考えると、
子供の頃から、樹木は身近な存在でした。